明日から舞台編の稽古が始まります。
12月の公演まで9ヶ月ほどあります。この時期から稽古を始めるケースはあまりないのですが、出演者が東京都京都に離れて住んでいるのでとにかく出来るときに少しずつ稽古することにしたのです。
舞台編の出演者はふたり。
太田宏さんと諸江翔大朗さんです。
太田宏さんとは17年前、「パノラマビールの夜」という作品を上演した際に出演してもらったのをきっかけに知り合いました。その2年後に船の階で「海に送った灯」という作品にも出演してもらっています。なので、ご一緒するのは3回目です。缶の階の企画は、
2年前の太田宏さんのひとことから始まりました。
諸江さんは今回はじめてご一緒します。「缶コーヒーを持つ男」という、缶の階の看板のような役柄を演じてもらいます。昨年秋、チラシで募集しつつ、いろんなひとに声をかけて出演者を探していたのですが、「京都に諸江翔大朗さんという俳優がいる。新しいことに躊躇せず挑戦する人で、調和をとることに長けた俳優だ。」という噂を聞きました。今はインターネットという便利なものがあるので、さっそく検索してみました。
「頭を下げれば大丈夫」という、主に関西の演劇関係者のインタビューを集めたサイトで諸江さんの記事をみつけました。そこで彼は「ことば」について一生懸命語っていました。よく読むと、どちらかというと台詞劇よりも身体表現に興味のある役者さんのようでした。
演劇をしながらいつもいつも考えるのは「ことば」の可能性についてです。
私は劇作をするので、言葉にならないことから作品作りをすることができません。
それはある意味挑戦しがいのあることではあるのですが、小説や詩ではなく「演劇」というジャンルを選んだ以上、どこかで、「書き表すことのできないもの」に対する強いあこがれがあります。書くことではつかまえきれないもうひとつの「ことば」の可能性を知りたくて、私は戯曲を手に演劇の周りをぐるぐる回っているのではないかと思うのです。
太田宏さんは圧倒的に「文字に起こせる言葉」に関心のある俳優さんです。彼と演劇の話をすると、かならず「声」「音」「ことば」「物語」という単語が出てきます。役者の仕事は、書かれた文字を人間という媒体を通して出力することだというイメージがあるのではないかと思います。
対して諸江さんは物語からはみ出した部分の「ことば」に関心があるように思われます(私には)。
このふたりの組み合わせはとても面白いなと思ったのです。
「ヒーロー2」というこの作品には、ふたりの登場人物が登場します。
このふたりの関係はとても特殊なものです。
しばしば、おなじことを違うことばで言ったり、違うことを同じ言葉で言ったりします。
ふたりがほとんど同じ長い台詞を語るシーンもあります。
この戯曲の作者は、おなじような言葉が使われる場所や立場で全く位相の異なる内容を示し、致命的に相容れない状況を示す様を描くことで、ことばの可能性と残酷さについて考えようとしたのではないかと思います。
明日はまず、読み合わせをします。
そのあと…どうしましょう。
いろいろ考えていっても、結局は、その場で起きたことや起きなかったことが次に何をすべきか教えてくれます。
会話と同じで、次の思いがけない何かに至るための何かでなければ意味が無いような気がします。
そういうことを言ってるからいつまで経っても要領が悪いのですが。
でも、これまでの経験から、最初の読み合わせで「えええええええっ?そうなのですか?」と腰を抜かさなかったためしがなく、そこまで「ええええええっ?」な状況で準備したものが段取りよく使えるはずもなく、なんというか、稽古のための場所は道場のような場所になるのです。
でも、それが楽しいから稽古楽しいわけですし。
今はまだ誰も知らない、思いがけない「何か」に出会うための準備として、
とりあえず明日の懇親会で食べるものを作っています。
そして、ほんを読んでいます。
稽古の前の日にはもっとすべきことがあるのだろうかと毎回不安になります。
もっとそれらしいことをしようと思い立ち、この稽古場日記を書いてみています。
久野那美
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