
ウイングフィールドを想定した実寸稽古、客席編。一昨日の課題をはるばる桃山台まで持ち帰りました。
木曜日は片桐さんと七井さん、中村さん、杉本で船場サザンシアターへ。
物語後半より、舞台より目を離してしまう隙が生まれるようになりました。
口々に出た「言葉の意味がわからない」という言葉。
本当は言葉以前の問題で、彼らがどんな環境に置かれていたのか、その過程がわからなかったのかもしれません。残酷なことに言葉は結果でしかありません。自分がどう伝えたかではなく、相手にどう伝わったか。ただそれだけです。
でも、相手から伝わらなかったことを自分が想像して創造してしまうことはあってほしくない。物語の中でも、物語の外でも。誰と何の話をしているのかがわからなくなってしまうからです。これでは話をする意味がない。
どうしても人間は言葉でしか情報の授受ができないから、今ここに生まれてしまった言葉には死んでも縋ってほしい。飲まれるのはいつだって誰でもない何かで何でもない誰か。そう「ならない」のであれば、その言葉たちは生まれながらにして死んでいるのと同じです。
この期に及んで、誰の言葉が誰のものかなんて関係ありません。
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