舞台編のお稽古です。
ウイングフィールド仕様の実寸稽古、桃山台にて。
公演まで一ヶ月を切ったところで。
改訂されたラストシーンでは、太田さんの「台詞」を諸江さんが「言葉」にしていく過程が見られます。
ととのえられた外形に惑わされることなく、ヒーローの台詞の内実を物語っていく姿は、観ていてとても官能的なものでした。
もしかして、これが台詞をいえるようになった俳優の成れの果てなのか…。
客席にいる私たちに台詞を投げかける。それを繰り返し、繰り返し。長時間に及ぶ稽古でたまった疲労も、彼らの功績に手を貸していたのかもしれませんが。
演技をするにあたっては、疲弊した身体であればあるほどいいと私は妄信しています。内で何が起こっているのかは想像がつきませんが、自分の身をおいた場を、より素直に肌が受容する。そして、身体へ、場へと正しく応答する。やがて、放たれた信号が、おなじ場を共有するものへ伝えられ伝っていく。舞台と客席の境目なんてなかったように、自然と言葉がやりとりされている様はとても心地が好い。彼らは服を脱ぎ捨てている。
ただし、これは一定の時間をかけて築いた関係が、むかえるべくしてむかえた最後であって、最初から易々と目にできるものではありません。けれども、私たちがはじめて目にするべき最初は、きっとここから作り始めることができるような気がしています。
誰かに物語るための言葉は、いつどこからどのようにして生まれるのでしょうか。
私たちはこうしてお芝居をしているけれど、いつだって、代え難いおなじことのために台詞を書いては消し、口々に言葉にしたりしなかったりするのでしょうか。
それはそうと、諸江さんが着てこられたダウンジャケットがとてもお洒落でした。綿が詰まっていて暖かそうです。
もう皆さんすっかり冬のよそおいですね。
誰よりも必死に衣を脱ごうとしていた。
かの夏は遠く。
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